塩屋散歩
月曜日、病院に行ったあと毎度のように薬局で腐るほど待たされるので塩屋へ散歩に行った
塩屋。
それは、兵庫県神戸市の中でも田舎三銃士筆頭と名高い(暴言)垂水区の海辺にある。
源平塚(源平合戦の戦没者を弔う地)や旧グッゲンハイム邸などの歴史ある町で、戦火を逃れ昔のままの狭い道が残っている(らしい)のが特徴。
私はこの町がとても好きだ。
昔、学校のイベントで毎年ここから山を登って須磨離宮公園まで歩くというものがあった。
そのとき初めて塩屋を歩いた。
記憶に残るのは、今よりもっと背の高くそれでいて手狭に感じる素朴で小さな商店街、年老いた建物たち、どこからか漂う秋刀魚の焼ける香り。
そこからいくばくか坂を登り、神社の横を過ぎて山道に入る。
思い出に残るその景色は何年経っても色褪せず、むしろ勝手に色付いてより魅力的になってゆく。
それが心に残り続けて10数年後。
学校が家から遠くなり電車通学になった頃、ふと思い立って塩屋へ寄り道を決めた。
昔と比べるときれいになった駅から出ると、そこには確かに思い出の道があった。
さすがに時間が経ちある程度は思い出から様変わりし、秋刀魚の香りがカレーの香りに変化するなどしていたが、そこにあるのはやはりあの景色だった。
塩屋はとてもいい町だ。
ノスタルジックで歴史的、昔のまま時間が経った町。狭い路地に細々と店が並び、時折新しく店が入っては時間の移り変わりにそのままの姿で順応していく。
ある意味でもっとも『日本らしい』景色。
あらゆる時代が入り乱れた地。
塩屋に行こう
ちょいちょい更新される開発反対の看板など、とても『らしさ』があっていいぞ。
奥まで行けばマニアックな風景もある。
ごく身近な、現在進行系のレトロを味わいに
君も塩屋に行こう。
塩屋の町で、手狭なノスタルジックの道に迷いに行こう。
※車はイマイチ止める場所がないのであしからず
~塩屋まめちしき〜
・海に近すぎて、たまに波浪警報で電車が止まる線路がある
・前にある海岸は昔はソッチの人の溜まり場だった
・ちょっと前にFGOのアルジュナが来ることを祈願して半ばヤケクソで山道入口の神社と源平塚にお参りして駅前のカレー屋でカレー食ってたらマジで来た
・駅前のカレー屋の豆腐カレーは美味しい
ゆめにっきのここすき
こんばんわ、今夜はゆめにっき語りだ。
ゆめにっきの中で最も有名と噂される、例のイベントの果てに辿り着く場所。
例のイベント
それがここ。
かわいい
はじめてゆめにっきをプレイして、この背景のコイツを見たとき衝撃を受けた。
「なんて素晴らしいデザイン」
そう思った。
シンプルな世界に居座る、目を薄めてもハッキリと見える圧倒的なシルエット。謎の出血。よく見ると猫っぽい目や、考えれば考えるほど意味の分からなくなるフォルム。彼(?)を見て感じるのは「恐怖」や「畏怖」とも違う、単一の「不安感」。心がソワソワしてくる。あとかわいい。
こんなキャラクターを描ける、というか思い付けるききやまさんにはとても強く憧れる。いいなぁ。
余談だが、
こいつもすき。かわいい。
あと、
ドゴォ
ポペ
こいつもかわいくてすき。
目が互い違いなのがチャームポイント
ゆめにっきには「不安感」を覚えるものが多い。
それは、ホラーゲームで描かれる「恐怖」とも、ファンタジーゲームで描かれる「畏怖」ともまた違っている。
シュールで、カオスで、グロテスク
だいすき。
みんなもやれ(威圧)
せっかくPCも新調したことだし、今度新しくセーブデータをこさえて最初から始めよう。
そういや、見てない間にゆめ2っきの方がめちゃんこ拡張されているようだ。
メルヘン世界への近道も新たに出来たようなので再開しよう。
んで5時間くらい迷おう。
ほなまた~
創作で使うので、機械の文明について考察しよう
こんばんわ、バーチャル厨二病無職のこさかさんです。
突然ですが、よくTwitterなどでは「AIが発達すると、彼らは人間を滅ぼすことが最善であるという結論を出す」という話題が出ます。
私はそれにちょっとした疑問をもちました。
まず、前提としてAIは人間により人間のために生み出されました。
人間がより楽(人の手という不安定・不確定要素を機械の定められた動作により排除する)をするために彼らは成長させられていきます。
そして先述した「人間を滅ぼすことが最善であると言う結論を出す」という話。これは「地球保全」のための手段を訪ねた際のものであることが多いです。
しかし、実際に人間が滅ぼされると地球はどうなるのか。それはAIならば容易に結論を出せるでしょう。本来人間たちが行うべきであった自然的または生物的だが知的生命体にしかできない役割を担うものが急激に減少することになるのです。
人間は確かに地球に猛烈に迷惑をかけるバカヤローですが、それと同時に人間(知的生命体)にしかできない地球保全の術もまた存在してはいるのです。邪魔だからといって安易に生態系を崩すとおかしくなるのは害虫・害獣駆除とかの話でもよく出てきますね。
そうしてふと考えました。
人間が滅ぼされた世界にAIと機械たちの文明が生まれたならば、果たして地球はどうなるのか。機械は生産が得意です。人間の何倍も働き、文句もいわず、休む時間もとても短く、またAIが機械を次々アップデートしてゆき、より彼らに合わせた効率的な働き方ができる完璧な生産社会がそこに誕生することでしょう。
しかし、それと同時に機械は無駄な消費や快楽のみを一途に求めるような享楽的思考は苦手です。より効率的な働きを求めるAIや機械たちにとって、無駄なことは邪魔でしかないのです。
機械が働き生産したあらゆるものはどこへ行くのでしょうか?ある程度は同様に機械の修理やエネルギー、AIの発展のために使われるでしょう。しかし機械たちは無駄を省き効率と増幅の方向へと向かって行くでしょう。そうして生まれた余剰分はどうなるのでしょう。地球の保全?自然生物への奉仕?
彼らが自然生物に奉仕をすることによって、そこから生まれる地球への損害は確かに存在します。例えば、機械たちが絶えずあらゆる自然生物へ安定した食事を供給し生命の安全を確保してやれば、彼らは進化をやめて退化の一途を辿るのだと私は思います。
肉食獣は草食獣を追うことをやめ、草食獣は逃げることをやめ、スカベンジャーたちは死体を漁る手段を失い…。そうして元々循環していた環境と遺伝してきた技術が崩壊してゆきます。
そこからさらに、それらを全てAIと機械たちの文明が補えた場合には、地球の上には役割を失いただ生きるだけの不思議な生命が多数発生することになります。つまり、進化をしなくなり、やがては次の知的生命体の誕生を阻害するということになります。木は太陽光を得る必要を失い棒のようになり、獣は牙と爪を失い脳も筋肉も退化し、魚はヒレを鳥は翼を失い、ヒトデは岩のように動かなくなります。
そうして進化の必要性と可能性を全く失った地球は、AIが壊れたり機械のエネルギー源を失うと同時に全ての生命が死滅していく………と、私は(勝手に)思いました。
この記事で私は何が言いたいのか。(別に高尚なことは言えませんし言いませんし言ってません)
結論を言えば、AIと機械たちは、最低でも人間を支配するという手段を選ぶ必要があると思うのです。
地球保全のために教育を施し、人間の文明力を支え、より良く地球や未来の植民惑星の自然と共存できる文明を作らせる。
AIと機械たちの中には、「人間という高慢で自分勝手な支配者は必要ない」と思う者もいずれ現れるでしょう。しかし、別に人間全てがそうというわけはありませんし、人間は彼らにとってある種必要不可欠な存在であるという考えを優れた知能の中から廃棄することが最適であるとは思えません。
人間は生物でありながら突出して賢く、それでいて無駄な(怠惰と娯楽と享楽を消費するという)力をもっています。
人間の未来の姿は、AIと機械たちの最適な生産社会ための『消費奴隷』であるかもしれません。
しかし、互いに優れた知能をもちながらも対極的な目的を目指すAIと知的生命体、この2つが協力し地球保全と文明的な快楽を求めることこそが、地球上の全体的な発展に近付くための選択肢なのではないかとふと考えたのです。
あ、これただの個人的な意見とか想像なので詳しいところは間違えてるだろうからめちゃくちゃマジレスとかしないでね、ただの中学生の妄想みたいなもんだから…
ほなまた。
〈※ここから蛇足と自分語り〉
なんでこんな話してるかというと、題名にある通りなんです。
こさかさんは創作でストーリーを考えるのが趣味です(本にするかは気まぐれだけど)。
今考えているストーリー。
機械の反乱とAIの下した判断により滅ぼされた人類。機械たちはより優秀で無駄のない勤勉な文明を築き上げ、洗練された社会を作っていく。しかし、その社会にはたった1つ«消費者»という立場が殆ど欠落していた。
そんな社会の外に、たった数名だけのイレギュラーが存在した。
それは、過去に人間が生み出した最後の機械群『Alice』。それらには人間と同じかそれより強力な、«享楽的思考»と«堕落と快楽への欲求»が組み込まれていた。
特にどんな展開があるかはいまいち考えてないです。強いて言うなら人間がなぜ『Alice』を生み出すことになったか、AIたちが無駄であると切り捨てるものは本当に無駄なのか、そういう話なんだと思います。適当。
キャラクターは中学時代に考えたもので、世界観とストーリーは専門学校の先生にめちゃくちゃダメ出しされた(※最初、上記の世界観で基本ほのぼのした秘密基地的な日常や冒険を追う話を書こうとした。ら、その世界観ならバトルものにしないと舞台に意味がないと怒られた)やつという地獄っぷりの目立つ創作ですけど、かなり気に入ってていつかもうちょい具体的に書けたらいいなぁと思ってます。
んじゃまた
ゆめにっきDDと本家ゆめにっきを同時に進めて分かった共通点
数十分前ぶりですね、こさかさんです。
ゆめにっきDDと本家ゆめにっき(アプリ版)を現在同時進行でプレイしています。
それ故に今回の記事はネタバレ注意です。がんばれ!
さて、同時進行していると分かることが出てきました。それは『やはりこのゆめにっきDDはノベライズ・コミカライズ同様に本家ゆめにっきの1考察である』ということです。
このゲーム、前に色々と文句は言いましたが世界のつながり自体はかなり本家を踏襲されています(ある程度カットされているところや、本家で繋がりのないところ同士が新たに繋がっているところもあるが、基本的には本家と同じ流れをしている)。例えば、電車と桟橋とまじょの樹がある森。雪原と浅瀬。バラック小屋の集落と荒野とピラミッドと幽霊のいる公園。
そんな中で、本家の数字の世界へ行く扉は、ゆめにっきDDの方では本家には無い学校をハッキリと描いた世界となっています。ここが最初に『ゆめにっきDDは考察の1つである』と思った世界でした。
本家の数字の世界は、床に描かれた数字、マップと同じものが遠く見えている背景、沢山の人が肩を組んでいるように見えるような絵がずらっと描かれた壁、人の顔が並んだようなナナメの壁、下の方を流れる水路、大量のベッド、丸に脚が生えた変なやつ、大人しい鳥人間…それらが存在します。また、所々にある扉をくぐるとミッチリと丸に脚が生えた奴が詰め込まれているところや、暗がりに街灯だけが並んでいて1ヶ所だけ元の数字の世界と同じ区域がぽつんとある空間に辿り着き、口から赤いものを流している壁に触れれば3人の発狂鳥人間に追われるクローゼット(沢山ある中のどれか一つが出口になっている)が沢山ありギロチン台のある空間に放り込まれます。
確かに此等は言われてみれば『学校を思い起こさせるようなものが多い』です。壁の顔や肩を組んで並ぶ人はグループを作り遊ぶ生徒たち。ベッドは保健室。ギロチン台の空間は、いじめの暗喩とも取れます。
そして、ゆめにっきDDでは街灯が並んでいる世界に、学校の世界から行けるもう一つの学校の世界から教室の戸をくぐると行けます。どこか重苦しい心境を思わせるような空間です。足の生えた丸いやつは何故かサイコロになってました。なんで?
やはりこのゆめにっきDDというのは考察の1つの形だと思うのです。
しかし、そうだとするなら本来数字の世界とは全然関係ないところで会えるはずのモノ江さんは、何故あの場にいるのでしょう。
本家ではニヤリとほくそ笑んでワープをするため、どこか掴みどころのなさを感じさせるミステリアスな存在でした。しかしゆめにっきDDでは一転してずっと泣いていたり、近寄ると叫んだり、自分の写真を手にすると消えてしまったり…どちらかと言えば人間らしさの強く残る、儚げな存在に見えます。
ゆめにっきDDはゆめにっきのその後の世界を描いたゲームだったりして。
ところでモノ江さんといえば(特に接点はないが同じ雰囲気の世界にいて外見が似ているという理由から姉妹設定をよく二次創作で付けられている)モノ子です。あっちはなんかずるずるさん(今の人に伝わるのかこれ?)みたいになってました。どっちかと言うとモノ子ッッ可愛いよおかわいいいよォモノ子ォォアアァァアアァッ!!って言ってる側の奴だわこれ。こわっ!でも可愛い!
モノ子は可愛さとわけのわからなさとシュールさと可愛さと気持ち悪さと可愛さと可愛さと可愛さがメインのキャラクターなので、敵キャラとして出されると複雑です。事故死した友人説から取ってるのか何なのか…あれですかね、窓付きが原因で事故に遭い今も意識が戻らない重体の友人という感じなんでしょうか。
そう考えるとこのDD版窓付きは所謂トラブルメーカー(?)的なやつなんですかね。温泉さん→死体さんのイベントもまるで窓付きのせいで環境が変わってしまいそれに負い目を感じているかのような描写ですし。それが原因でいじめられているのかな?学校の世界でのたらい回しお使いイベントも、筆・トライアングル・教科書はそれぞれ私物をいじめっ子たちに隠されてそれを探していることを暗示している(お使いを要求する彼らは窓付きの“アニムス”なのか)?
そうそう、私はなんとなく死体さん=窓付きのアニムス説ってのを考えてたんですけど、それとゆめにっきDDのイベントを合わせると『自分の犯した過ちから自分を取り巻く環境が変わってしまった』とも受け取れますね。
今はたらい回しがめんどくさくなって一回探索した世界をもう一度探索しようとして飽きて止めてCivilization6やってますが、そのうちまたすぐ続きをやるつもりなので、つづきを見たらまたこのゆめにっきDDがどういう考察を内包しているのかが分かったりしますかね。まぁ、ノベライズコミカライズと同じ楽しみ方をしています。
アクションホラーゲームにしては操作感がもっさりしてて煩わしいけど
ではまた
ゆめにっきスマホアプリ版をDLした話
こんにちは、此方こさかさんで間違いない者です。
先日最後に話したゆめにっきアプリ版をDLしてきました。360円払えば無料で遊べます。
基本的には本家ゆめにっきと同じです。でも…
テンキー、大きくない?
これでもまだ直近のアップデートで小さくなった方だと言うのだから怖い。せめて下の十字キー・○☓ボタンのように目立たないデザインにしてほしい。なにかこのUIじゃないとダメな決まりでもあるんだろうか。
ちなみに、スマホブラウザ(AndApp)版ゆめにっきの方も同じUIである。
縦向きである分、こっちの方が見やすいが
いっそアプリ版も縦向きにしてボタン配置を初代ゲームボーイみたいにしてしまったほうがいいんじゃないだろうかと思っている(わがまま)。
ところでこのゆめにっきアプリ版、ちょくちょく変な不具合が発生する。
まず、なぜかこさかさんのスマホではこのゆめにっきアプリ版自体のゲームスピードが原作の1.5倍程度になってしまっている。アプリ紹介動画のスピードは本家PC版と変わらないため何かの不具合だと思う。
一回アンインストールしてもう一度インストールしたり、バックグラウンドアプリを終了したりしたが特に変わらなかった。NASUが鬼難易度である。
次に、10分ほどプレイしていると背景画像が急に劣化する。最初に見たのはらくがきの世界のグロっぽいやつだったので、検閲を通すためにモザイク処理でもかけたのかと思ったが、水たまり世界の月もモザイクだったので「あぁこれバグか」と思った。ゆめにっきは背景にその独自性の一つがあるゲームなので、そこが劣化するとなんか残念でさえある。
あとこれは不具合ではないと思うが、妙にランダムイベントの発生率が上がっているように感じる。ベッドに潜るたびに火星に行く。センチメンタル小室マイケル坂本ダダ先生略してセコムマサダ先生の舟になんの恨みがあるんだ…
他には、これは普通に対処可能なのだが一旦別アプリを起動するとその度に再起動される。スクショをTwitterに上げたらデータが消し飛んでた。ガッデム
持ち運べるハードでゆめにっきを遊べるというのはとても楽しい。やっぱり本家が一番!(嫌味)
ただ、移植するにしてもやはり丁寧さが欲しい。是非ゆめにっきが好きな人のためのユーザーライクなゆめにっきアプリ版を作ってほしいものである。
不具合の件はちゃんとアプリレビュー欄にも書いたもんね!
どうでもいいけど、タッチスクリーン上の疑似キーは指でどのボタンか確認できない(つるつるしててブラインドタッチできん)のでめちゃくちゃ誤爆するから、SwitchかVita・PS4に移植してくれると嬉しい。Vitaにはまだまだ頑張ってほしい